農学部 植物生命科学科
教授 下野 裕之
作物学
岩手大学農学部下野裕之教授らの研究グループは、将来の気候条件での持続可能な食料供給の達成に向け、イネをはじめ作物の品種改良を迅速化・効率化するため、ビッグデータ解析法「YpCGM法」を開発しました。この成果は、英国のNature姉妹誌「Communications Biology」2023年7月21日付(日本時間午後10時)に掲載されました。本研究で開発した手法は世界各国で蓄積されたイネ、コムギ、トウモロコシ、ダイズなど作物のビッグデータへの適応による育種への利用が期待されます。
私たちの豊かな生活は、安定した農業生産に支えられています。世界の主要作物(イネ、コムギ、トウモロコシ)の収量(単位土地面積当たりの生産性)は1960年以降に2~3倍以上に増加し、これには品種改良が大きく貢献しています。品種改良といえば、 DNAや遺伝子の評価(ジェノタイピング、genotyping)が注目されがちですが、それにも増して重要なのが、その品種が持つ能力の正確な評価(フェノタイピング、phenotyping:ある品種が持つ能力は、これまでの従来の品種よりも高いのかの評価)です。前者のDNAや遺伝子の評価(ジェノタイピング)が次世代シークエンサーなど高度の技術革新により効率化されているのに対し、後者の品種が持つ収量性の評価(フェノタイピング)はいまだ野外フィールドでの栽培試験が世界標準のスタンダードの評価方法であり続け、品種改良のボトルネックとなっています。
栽培試験による収量の評価の利点は、導入する地域での気象条件で実際に評価することで品種の能力を正確に予測できる点です。一方で欠点は、得られる収量データは評価した環境に依存する点です。結果、品種を比較した試験結果がビッグデータとして蓄積していても、同じ年次に同じ地点で行ったデータ同士しか比較ができません。1年に1回、多大の労力と時間をかけて貴重な野外フィールドでの栽培試験の結果がうまく利用できず、品種改良のスピードを制約しています。地球温暖化による気候変動が拡大する中、蓄積されたビッグデータの効率的な利用方法の開発が必要です。そこで、開発したのが本手法です。
わが国は、国土が南北に長く、それぞれの気候に適した品種が育成、栽培されています。例えば、北海道は「ななつぼし」、東北地方では「ひとめぼれ」、北陸地方では「コシヒカリ」、九州地方は「ヒノヒカリ」などがありますが、それら主要品種を超える新たな品種育成が日々行われています(岩手県の「銀河のしずく」、山形県の「つや姫」、青森県の「晴天の霹靂」)。イネをはじめとする作物の品種改良には、有用な母本の交配からはじまり、その後、後代の系統を評価、選抜する過程に10年弱の年数を要します。気候変動が拡大する中、10年先を見通した交配母本の選択が必要です。本研究は、蓄積されたイネの収量のビッグデータを再解析することで、貴重なデータをアップサイクル(upcycle)し、気候変動に適応した新たな品種育成のための有望な品種を選抜することで先を見通した有用な母本の選択に役立てる手法を開発しました。
本研究成果は、従来、収量はある基準品種との相対値としてしか表現できなかったものを、本手法によりイネ品種の収量という特性を数理モデルを用いてわずか2つのパラメーターに一般化することに成功しました。ビッグデータを利用することで、時間と労力が必要な野外フィールドでの調査を行わずに、データ解析のみから埋もれていた全国の有用な品種の発掘、また関連する新たな遺伝子領域の発見も可能となりました。
岩手大学作物学研究室の下野教授は、イネの成長を数理モデルで評価する手法を開発しました(図1)。y軸に実測のそれぞれの品種の収量をとり、それぞれの収量が得られた気象情報から数理モデルで算出した潜在収量をx軸にプロットすると、単純な線形回帰でできることを明らかにしました。この線形回帰の切片と傾きが品種のもつ収量特性として評価することができるという、YpCGM法を提案しました(ポイント1)。切片を収量性(yield-ability,β; t/ha)、傾きを可塑性(yield-plasticity,α; dimensionless)と提起しました。なお切片は、x=0での切片ではなく、多数の品種が経験した潜在収量x=8t/ha=SPYとしました。
開発した手法を用いて、下野教授は、日本のイネ237品種(110か所で過去38年)のビッグデータ72,510セットについて解析を行った結果、品種特性を2つのパラメーター、収量性(yield-ability,β; t/ha)には、2.5t/ha~7.3t/haの変異が、可塑性(yield-plasticity,α; dimensionless)には-0.23~0.95までの変異があることを明らかにしました(図2ab)(ポイント2)。さらに、それら品種のパラメーターを品種の育成年次との関係でプロットしてみると、正の相関関係が収量性βについてみられ、育種過程により、年あたり10.2kg/haのスピードで改良が進んでいることを示します(図2c)(ポイント3)。また、その中で生産者が好む主要品種についてみると、その傾きは21.8kg/haとほぼ2倍に高くなり、生産者はより収量性の高いものを好むことが示されました。さらに、環境に対する収量の可塑性αについては、育種家は積極的には選抜を行っていないけれど、生産者は、生産性だけでなく、可塑性が高い品種を選んでいることを初めて明らかにしました(図2d)。このことは将来気候への適応のための育種の目標としての可塑性αの重要性を示唆します。
ゲノム情報を用いて、岩手生物工学研究センターの阿部博士は、これら2つのパラメーターについてゲノムワイド関連解析(Genome wide association study)を91,800SNPsを用いて行うと、可塑性に関わる新規遺伝子領域を第10染色体上にみいだすことに成功しました(図3a)(ポイント4)。 第10染色体の中でも3,157,567~3,160,342bが強くかかわることが明らかになりました(図3de)。
なお、解析を進めるうえで、イネ収量ビッグデータには8000品種以上のデータが蓄積されていますが、詳細なゲノム情報を用いた解析を行うために、品種数を絞る必要があります。東京大学の岩田教授は、(株)夷風凛凛の佐藤氏がとりまとめた日本のイネ14,032品種の系譜関係について解析を行い、日本のイネを形作る代表237品種を選定しました。岩手生物工学研究センターの阿部博士は、その237品種について、DNAシークエンスを行い、品種間の違いをDNA上のマーカーとして91,800 SNPs(注4)を特定しました。東京大学の岩田教授また岩手大学の金准教授(当時)はこれらパラメーターが遺伝的な形質である点をゲノミック予測から確認しています。
提案した手法YpCGM法は、労力と時間を要する収量調査をすることなく、データを再利用(upcycle)することで、新たな視点を提供でき、今後の品種改良を効率化させることに役立つことが期待されます。
岩手大学:下野 裕之(農学部 教授)、金 天海(理工学部 准教授、当時)
東京大学:岩田 洋佳(農学生命科学研究科 教授)
岩手生物工学研究センター:阿部 陽(ゲノム育種研究部、 主席研究員)
(株)夷風凛凛:佐藤 睦志(代表取締役)
掲載誌:Communications Biology: 6, 764 (2023).
論文名:Upcycling rice yield trial data using a weather-driven crop growth model
公表日:2023年7月21日付(日本時間午後10時)掲載
著者:下野裕之(岩手大学)、阿部陽(岩手生物工学研究センター)、金 天海(岩手大学)、佐藤 睦志((株)夷風凛凛)、岩田 洋佳(東京大学)
DOI番号:
https://doi.org/10.1038/s42003-023-05145-x
本研究は科研費・基盤研究A(「イネの野外ビッグデータを用いた「人工知能」による育種プラットフォームの開発」、2019-21年、19H00938)の支援を受け実施しました。
岩手大学 農学部 植物生命科学科 作物学研究室 教授
岩手大学 次世代アグリイノベーション研究センター センター長
下野裕之
TEL/FAX 019-621-6146
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