理工学部 化学・生命理工学科 生命コース
教授 冨田 浩史
視覚神経科学、分子生物学、神経科学
岩手大学理工学部化学・生命理工学科生命コースの冨田浩史教授、菅野江里子准教授、修士課程2年丸岡史侑らと尚絅学院大学片山統裕教授の研究グループは、遺伝的に失明に至るラットが失明後に大脳皮質視覚野全体が音に対する反応の増強が起こることを見出しました。これまで、失明に至ると聴覚や触覚などの感覚機能が高まることが知られていましたが、詳細なメカニズムについては不明でした。今回、視覚野の活動を簡便に可視化する技術を開発し、これを用いることによって、失明後のラットの視覚野において、音刺激への応答性が高まっていることを可視化することに成功しました。これらの結果は、失明によって活動が低下した脳の視覚情報を処理する領域である視覚野が他の感覚機能の情報処理神経細胞群として働くようになることを示すものであり、その結果として聴覚や触覚機能の感覚が研ぎ澄まされていくと推察されます。また、今回開発した手法を用いることによって、現在、当研究室が取り組んでいる視覚再建治療によって回復される視覚の特性を、より詳細に調べることが可能になると考えられます。
本研究成果は、2024年11月5日(日本時間18時)にSpringer Nature社が発行する自然科学雑誌Scientific Reportsに掲載されました。
視覚情報は眼球後方に位置する網膜で捉えられ、視神経を介して脳に伝達されます。視覚の認知には網膜機能だけでなく、大脳皮質視覚野における適切な情報処理が必要です。幼少期に失明し、成人後に治療で視力を回復しても、脳の視覚情報処理を行う視覚野がそれまでに視覚刺激を体験していないため、視覚野がすぐには機能せず、視機能が十分に回復しないことが報告されています。その一方で、脳には外界からの刺激に応じて脳の機能が変化することが知られています。これは「脳の可塑性」と呼ばれるもので、前述した例においても、視覚体験を積むことで回復した視機能を向上させることができます。また、失明に至った場合に視覚のかわりに、聴覚や触覚などの感覚機能が高まることが報告されていますが、脳の機能にどのような変化が起こっているかは充分に明らかになっていませんでした。
脳の活動を可視化する方法として、MRI(気共鳴画像法)やNIRS(光トポグラフィ)などが知られていますが、今回、より簡便な内因性光信号イメージング(IOS)法*¹を用いて、失明に至ったラットの音刺激に対する脳の活動領域を可視化することに成功しました。
実験には遺伝的に失明に至るRCSラット(Royal College of Surgeons)を用いました。RCSラットは自然発症の網膜変性を来すラットで一旦、網膜が正常に形成されるものの生後3週間から網膜の光受容細胞である視細胞の変性が始まり、生後3か月でほぼすべての視細胞が消失し失明に至ります。
生後3か月のRCSラットの網膜層構造を網膜光干渉断層計(OCT)*²により調べるとともに、網膜電図*³(ERG)を記録することにより網膜機能を評価しました。その結果、網膜層の厚みは正常ラットに比べ有意に非薄化し、断層写真において視細胞の変性が確認されました。また、ERGによる網膜機能評価においては、光刺激に対する応答は全く見られず(図A)、失明に至っていることが確認されました。IOS法により視覚野の活動を可視化したところ(図B)、正常な視覚を有するラットでは、画面上に流れる縞模様の視覚刺激を提示した際に両側視覚野で活動が見られたのに対し(図C)、盲目ラットでは視覚刺激に伴う視覚野の活動はみられませんでした(図D)。一方、正常ラットにおいて、音(聴覚)刺激に対して視覚野の応答は見られませんでしたが(図E)、盲目ラットでは聴覚刺激において明瞭な視覚野の活動が見られました(図F)。
以上の結果から、従来、視覚情報の処理を担っていた視覚野の神経細胞が失明により聴覚野と同様に聴覚刺激に応答する神経細胞へと変化したことが示されました。
本研究により、失明により活動が低下した視覚野が新たに別の感覚の情報処理を担当することにより、聴覚などの感覚機能が高まることが明らかとなりました。IOSを用いた脳の活動領域の特定方法は、今後は当研究室が進めている遺伝子治療による視覚再建後に、聴覚機能を担当する神経細胞に置き換わった神経細胞群がその機能を消失し生来の視覚野として働くか、あるいは置き換わった神経細胞群が視覚と聴覚の両方を担当する神経細胞群となるのかなど、視覚再建治療の評価に有用であるとともに、脳の可塑性のメカニズム解明にも応用できると考えられます。
掲載紙:Scientific Reports
論文名:Enhanced auditory responses in visual cortex of blind rats using intrinsic optical signal imaging
著 者:丸岡史侑(大学院生命科学コース 修士課程2年)、菅野江里子(理工学部化学・生命理工学科生命コース 准教授)、外川 龍之介(株式会社KDDI総合研究所)、片山 統裕(尚絅学院大学 理工・自然部門 教授)、田端 希多子(理工学部化学・生命理工学科生命コース 特任准教授)、吉澤 侃杜(大学院生命科学コース 修士課程1年)、森田 凌平(大学院生命科学コース 修士課程1年)、滝田 祐也(大学院生命科学コース 修士課程2年(当時))、尾﨑 拓(理工学部化学・生命理工学科生命コース 准教授)、福田 智一(理工学部化学・生命理工学科生命コース 教授)、白 蘭蘭(理工学部化学・生命理工学科生命コース 助教)、冨田 浩史(理工学部化学・生命理工学科生命コース 教授)
公表日:2024年11月5日
URL:
https://doi.org/10.1038/s41598-024-76276-2
DOI:10.1038/s41598-024-76276-2
本研究は、以下の研究事業の成果の一部として得られました。
・科学研究費助成事業 22H00579・基盤研究(A)「オプトジェネティクスと工学技術の融合による視覚野刺激型視覚再建デバイスの開発」(研究代表者:冨田浩史)
・科学研究費助成事業21K18278・挑戦的研究(開拓)「新規チャネルロドプシンを用いた神経栄養因子の分泌制御による網膜変性保護」(研究代表者:冨田浩史)
・科学研究費助成事業22K09760・基盤研究(C)「バイオインフォマティクスによるAAVベクター改変と低侵襲遺伝子導入技術の開発」(研究代表者:菅野江里子)
・科学研究費助成事業21K09713・基盤研究(C)「視覚再生網膜のレチナール供給機構の解明と視機能の増強」(研究代表者:田端希多子)
・科学研究費助成事業22H04922・学術変革領域研究(学術研究支援基盤形成)「先端モデル動物支援プラットフォーム」
・テルモ財団生命科学振興財団再生医療開発21-II4001「高感度型チャネルロドプシンを用いた視覚再生のための遺伝子治療」(研究代表者:冨田浩史)
理工学部 化学・生命理工学科 生命コース
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