
農学部 食料農学科
西村 明
発酵科学、酵母分子育種、アミノ酸代謝
岩手大学農学部の西村 明教授らの研究グループは、奈良先端科学技術大学院大学の研究グループとともに、アミノ酸の一種であるオルニチンを多く蓄積するビール醸造用酵母を育種しました。本研究では、遺伝子組換えを用いない変異育種により、オルニチン高蓄積酵母ADHorn49株を取得しました。この株は、麦汁中で親株と同程度の発酵能を保ちながら、細胞内および発酵液中のオルニチン量を高めました。さらに、全ゲノム解析と遺伝子機能解析により、オルニチン生合成酵素Arg のGly351という保存残基が、オルニチン蓄積を左右する重要な制御点であることを明らかにしました。得られた酵母は、実際のクラフトビール醸造にも用いられました。本成果は、酵母のアミノ酸代謝を理解する基礎研究が、酵母育種を通じて発酵食品開発へと展開した例です。
クラフトビールの特徴は、ホップや麦芽だけでなく、発酵を担う酵母の性質によっても大きく変わります。酵母はアルコールを生成するだけでなく、香味成分やアミノ酸の組成にも影響を与えます。そのため、酵母の代謝を理解し、目的に応じて育種することは、発酵食品の品質や個性を高めるうえで重要です。本研究では、食品素材としても利用されているアミノ酸「オルニチン」に着目しました。オルニチンを多く含む発酵飲料をつくるには、醸造に必要な発酵能を保ったまま、オルニチン代謝を変化させる必要があります。しかし、そのような酵母をどのように選抜できるのか、また高蓄積の性質がどの遺伝子変異によって生じるのかは、十分には分かっていませんでした。
本研究では、過去に単離したビール醸造用酵母 ADH837 株を親株として用い、エチルメタンスルホン酸(EMS)処理により変異を導入しました。次に、アルギニンの類似体であるカナバニンへの耐性を指標として候補株を選抜しました。オルニチンはアルギニン生合成経路の中間体であるため、この方法により、アルギニン・オルニチン代謝が変化した株を効率よく絞り込むことができます。得られた候補株の細胞内アミノ酸を解析した結果、親株よりもオルニチンを多く蓄積する ADHorn49 株を取得しました(図1)。さらに、麦汁を用いた発酵試験、アミノ酸分析、全ゲノム解析を行ったところ、ADHorn49 株ではオルニチン生合成酵素 Arg6 に Gly351Asp というアミノ酸置換が生じていることが分かりました。
そこで、Gly351 を別のアミノ酸に置換した Arg6 を作製し、その機能を解析しました。その結果、置換するアミノ酸の種類にかかわらずオルニチン蓄積が増加しました。このことから、Gly351 は Arg6 の機能制御に関わる重要な保存残基であり、この部位の変化がオルニチン高蓄積の原因となることが示されました。
ADHorn49 株は、最小培地および富栄養培地のいずれにおいても、親株より多くのオルニチンを細胞内に蓄積しました。麦汁を用いた発酵試験では、二酸化炭素の発生量が親株とほぼ同じ推移を示し、発酵能が大きく損なわれていないことが確認されました。また、発酵後の培地中にもオルニチンが増加しており、酵母育種によって発酵液中のアミノ酸組成を変えられることが示されました。原因変異として同定された Gly351 は、Arg6 の触媒ドメインと真菌特異的ドメインの間に位置します。この部位は酵母間でよく保存されており、Arg6 の立体構造、ドメイン間相互作用、またはアルギニンによるフィードバック制御に関わる可能性があります。今回の成果は、オルニチン生合成を調節する新たな制御点を示すものです。選抜した ADHorn49 株は、その後、企業でのクラフトビール醸造にも用いられ、「酔うたらええやん」として商品化されました (図2)。研究室で得られた酵母と、その遺伝子解析の知見が、実際の発酵食品開発に生かされた点も本研究の特徴です。
今後は、Arg6 の Gly351 置換が酵素活性、複合体形成、フィードバック制御にどのような影響を与えるのかを、生化学的・構造学的に詳しく調べます。また、この知見をビール酵母だけでなく、清酒酵母、ワイン酵母、パン酵母などにも広げ、アミノ酸や香味成分に特徴をもつ発酵食品の開発につなげます。本研究は、酵母のアミノ酸代謝を調べる基礎研究から出発し、酵母育種、発酵試験、商品化へと展開した成果です。今後は、岩手の農産物や発酵資源とも組み合わせながら、地域に根ざした新しい発酵食品づくりにも取り組みます。
【掲載論文】
題目:Isolation and characterization of Saccharomyces cerevisiae mutants with ornithine accumulation for value-added craft beer brewing
著者:Akira Nishimura, Shota Isogai, Koya Yamada, Ryoya Tanahashi, Hiroshi Takagi
誌名:Journal of Industrial Microbiology and Biotechnology
公表日:2026年5月20日
本研究は、以下の研究事業の成果の一部として得られました。
・文部科学省科学研究費補助金・基盤研究(C)(24K08664、研究代表者:西村 明)
・奈良先端科学技術大学院大学支援財団